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2014年12月13日 (土)

妄想癖か?





以前シンガーの塩谷達也君と「シオブチ」という名前でライブをしたことがあります。ある日の二人の会話で僕が「俺ってさあ、何も考えずにライブを演っているんだよね」と言うと塩谷君が、「まことさんってメチャクチャ考えてるじやないですか」と返されたことがありました。

実は塩谷君からそう言われるまでは、事前にセットリストくらいは考えるものの、あとは出たとこ勝負的な気持ちでいました。しかしよくよく考えてみるとライブの数日前くらいからは頭のどこかでライブの事をイメージしていますし、まるで将棋でもするように、「こう打たれたらこう打って、ああ打たれたらこっちに打とう」なんて手筋みたいにライブの流れを考えています。こういう事があまりに日常的になっているので、自分ではてっきり「考えていない」と思っていたのでしょう。

今日どうしてこんな事を書いているのがと言いますと、昨夜の西宮でのコンサートを終えてから京都まで移動して1泊したので、今は京都から早い新幹線に乗って群馬県の館林へ向かっている所なんですが、東京駅から館林まではいくつかの行き方があり、それぞれの乗り換え駅も初めての駅だったりするので、この行き方がベストという事がわかりません。

こんな時わたしの頭の中は大忙しになるわけです。ルート、所要時間、乗り換えの時間などなど・・・。

この近未来の予定に感しての並々ならぬ計画魂はどこからきているのでしょうか。それは多分恐れではなく妄想癖的な所から出ているのだと思います。

ちなみに妄想癖は、ない事をあると確信する事のようですので、わたしはそれとは違うようです。ひと言で何というのかはわかりませんが、将棋の手を考えるようだったり、物語りを書くようだったり、絵を描くようだったりします。

何を言いたいかといいますと、こんな性格が自分の人生に大きく関わっているという事です。何をするにもこうなんですからあたりまえです。

人生が心か描いた絵だとすると、心は誰が描いたんでしょうね。両親、家族、友達、環境などいろいろ考えられます。

パスカルは人の心には神様の形の空洞があると言いました。確かにそうかもしれません。元々のわたしには、物語りを書くようだったり、絵を描くようだったり、という面はありましたが、将棋の手を考えるような面はありませんでした。これはひょつとしたらわたしが聖書の神様を信じた時に心の空洞が神で満たされたからかもしれません。

あ~、今朝も乗り換えの事が心の空洞まで拡がってしまいました。新幹線も豊橋を過ぎました。午後のコンサートのためにひと眠りしましょう。

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