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2015年2月

2015年2月11日 (水)

あの人の言うことだったら信用できる

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最近は中東での出来事のショックもあり個人的な文章を書く気がしなくなっていました。出来事そのものの衝撃もありますが、それにまつわるさまざまな情報の錯綜や、政治家、学者、ジャーナリストから個人に至るまでの「人」から発信される言葉、特に攻撃的なコメントの応酬に辟易してしまいました。

インターネットは今では欠かすことのできない情報ツールとして、それ自体の良し悪しを議論する余地はないと思います。しかし僕のようにある種の混乱を感じている者は、インターネット世界にすでに首を突っ込んでいるにも関わらず、ネットを有用な情報ツールとして使えていないのかもしれません。

僕の混乱とは情報を知れば知るほど、見れば見るほど、どれが信頼できる情報なのかがわからなくなってきてしまうことです。もし僕が思想的に右寄りだったり左寄りだったりすれば、情報の取捨選択がもう少し簡単かもしれませんが、僕は右でも左でもありません。強いて言えば「戦争反対論者」ということになるかなと思います。

以前、ある政治団体系の集いで歌ったことがありました。その方々は平和を訴えているのですが、会話の随所に「許せない」という言葉が登場してくることが気になりました。コンサートが終わってから主催者の方に、「許すことが始まりなんじゃないですか」と言いましたが、やはり「決して許せない」という言葉が返ってきました。

それがどんなに正しくても、勝ち負けで得た平和は一時の平和でしょう。その平和の中でもう一方がもう一方の正しさを掲げて「許せない」という怒りを集めているはずですから。

話しを戻しますが、ネットと信頼ということを考えていたら、最近は聞かなくなった「あの人の言うことだったら信用できる」というフレーズをふと思い出しました。この「あの人」とはリアルな関わりの中にいる信頼できる人のことです。ネット上ではコメントをやりとりするような関係でも、街ですれ違ってもお互いの顔さへわからないことがほとんどなのではないでしょうか。

最近僕は自分が住んでいる町に興味を持つようになりました。それこそ僕が住んでいる町は取り立てて目立つものもない平凡な町ですが、この街に「ちゃんと住む」ことが大切だと感じるようになってきました。それは「あの人の言うことだったら信頼できる」、はこの町に潜んでいるからですからです。ネットと自分が住んでいる町はやじろべえのようなものだと思います。ネットの中に暮らしすぎると、「怪我をすると痛い」という当たり前の感覚さえも希薄になってしまうような気がします。

さらにネット上に実質的な責任を伴わないさまざまな意見が飛び交ってネット世界が荒れることは、何かを企んでいる人々にとっては格好の材料です。ちょっとした架空の餌をネット上に投げれば沢山の無責任な賛同者が生まれます。それは数字となって、「こんなに賛同者がいるから決行しましょう」ということになりかねません。でもそれは本当でしょうか。

ネット上のちょっとした無責任はいつか自分の暮らしを破壊する可能性を持っているかもしれないのです。

インターネットの中の地球が増幅していくことは止められませんから、僕たちは自分が生きている生活の足元をしっかり見て、感じて、歩いてゆかなければならないと思います。幸せの鍵はネットの中にではなく自分自信にあるのですから。

写真は近くの公園で出会ったカワセミです。宝物は身近にたくさんあります。

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