しっかりねパパ
今日は長女亜希子の誕生日です。亜希子は1987年10月に8年間の地上の生涯を終えました。元気でいれば今年で37歳になりますからもう立派な大人です。
亜希子は6歳の夏休みが終わった時に様子がおかしくなり病院で診察してもらうと、すぐに精密検査を受けることとなり、その結果は「脳腫瘍でもう手遅れ」ということでした。私たち夫婦だけではどうすることもできず、いろいろな方が手を尽くしてくださり、都内の病院へ転院できることとなりました。そこでは担当の先生から「手術をすれば命が助かる可能性があります。私たちはその希望に賭けたいと思います、岩渕さんはクリスチャンだそうですね、是非お祈りしてください」とのことばをいただきました。そのことばにも少し背中を押してもらい手術していただくことを決断しました。
8時間の予定の手術でしたが、終わってみれば27時間に及ぶ、病院始まって以来の大手術ということになりました。しかし亜希子は少しずつ回復をして一般病棟へ戻ることができました。年が明けて「リハビリを始めましょう」という夢のようなお話をいただいた直後に、彼女は高熱に襲われました。髄膜炎を併発してしまったとのことで、2度目の手術をせざる終えないという状況になりました。2度の大手術は亜希子にとって大きなダメージだったことは否めません。その後も頑張って闘病を続けましたが1年2か月の闘病の末に、階段を上るような呼吸をしながら地上の生涯を終えました。
その日の朝僕は山形におり、夜には米沢でのコンサートの予定がありましたが、周囲の方が調整をしてくれて、コンサートをキャンセルして急遽病院へ戻ることができました。そして2、3時間、ベッドサイドにいることができました。
その翌日には宇都宮での「出会いのコンサート」というゴスペルコンサートが予定されていました。こちらも周囲の方から「キャンセルしましょうか」と提案していただきましたが、予定通りに出演することにしました。
1年2か月の闘病中にひとつのアルバムが制作されました、それは小坂忠さんとのデュオアルバム「GOSPEL」です。この中に「父の涙」、「贈りもの」、「イエスにゆだねて」などの曲が収録されました。
亜希子の出来事以前と以後では自分の心模様は大きく変化をしています。そしてこの出来事が今の自分の土台の一部となっていることは間違いがありません。不思議ですが亜希子は今も僕の中で生きていて「しっかりねパパ」と応援してくれているようです。
そうねえ、あの頃より少しはしっかりしたのかなあパパは・・・。
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