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2016年11月22日 (火)

救い主の孤独

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今夜はお茶の水クリスチャンセンターB1のアイリンホールで本家歌声ペトラがあります。日本生まれの賛美歌があってもいいじゃないか、ということでとにかく始めてみた声ペトラも来年で20周年になります。ほぼ毎月新しい曲を発表してきて今夜の曲が231曲目となります。曲は作詞関根一夫氏、作曲が僕、アレンジが西原悟氏、で作業をしていますが、その他に楽譜の浄書に始まり現場の準備その他の見えないところで多くのメンバーが支えてくれています。実際には支えているというよりもそれぞれの活動として歌声ペトラがある、と言った方が正確なのだと思いますが・・・。

ですから僕がいなくても歌声ペトラはある、ということだと思います(自分がいなくても成り立つことはいいことだあ)。そして日本生まれの賛美歌はまだまだ必要だと思います。やはりキリスト教を土台にした日本文化が生まれこないと、キリスト教は外国の宗教だ、というくくりに入れられてしまうように思います。

さて歌声ペトラは内容において、「関わりの賛美歌」という位置付けが出来るようにも思います。神様との関わりはもちろんですが、他人との関わり、そして自分との関わりと、単に関わりと言っても多岐にわたります。そして僕たちはその関わりの中で問題を抱えたり、立ち止まったり、行きすぎたり、忘れたり、失ったりしているように思います。

生きるということを関わりという側面から捉え直してみると、そこに関わりの中にある自分の姿が見えてきます。

僕は母一人子一人という環境で育ちましたので、人間関係が上手かというとそうではありません。関わり下手なわけです。しかし父や兄弟がいなかったことでひとつよかった点は、神に対しての先入観がないということです。キリスト教では神様に「父なる神さま」と呼びかけますし、聖書には「神は父である」と記されてあります。ある人が、自分の父親のイメージがあまりに悪くて、シンプルに神様を「お父様」とは言えない、と言っていたことを思い出します。僕は父のイメージが元々ないので、そんな風に神様を考えたことはありませんでしたが、それぞれの人間関係が神様との関係にも影響を与えることを知りました。

今夜の曲はクリスマスの賛美歌です。その歌詞には「眠れぬ夜の 騒ぎも去り 寄り添う友は 牛か羊か」とあります。そこに僕は救い主の孤独を感じました。そう神のひとり子が人の姿て家畜小屋に生まれる。こんな理不尽なことはありませんね。でももしキリストがきらびやかな宮殿にお生まれになったのならば、僕は孤独の中でキリストに出会っただろうかと思います。




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20160823
 
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