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2017年6月27日 (火)

ひたすら

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藤井聡太四段の快挙が伝えられた昨日、僕はちょっと不思議な気持ちになりました。それは膝カックン感というか肩透かし感というか、そんな気持ちです。僕はなんでだろうなあ、と考えました。少し前の稀勢の里の優勝の時には「ウォー!」とシンプルに盛り上がったわけですが、藤井聡太四段の快挙には稀勢の里の優勝のような気持ちにはなれませんでした。それはひょっとすると自分で理解出来る範囲の世界から事実が飛び出していったということなのかもしれません。

なんといっても僕は将棋が指せるわけではありませんので(偉そう)、実際にこの記録がどれだけすごいのか、藤井四段の指し手がどれだけ革新的で芸術的なのかもわかってはいません。ですから僕が新記録達成に興味を持ったのは人間ドラマとしての面白さだったのでしょう。

では人間ドラマとはどんなものでしょうか。それは概ね少々ネガティブなのではないかと思います。ですから今回も普通ならば新記録達成はならずに、「将棋の世界はそこまで甘くない」という解説がされて、僕らも「やっぱり人生ってそうだよな」「そりゃあそうだよ」と言いつつどこかでホッとするという図式でしょうか。

多分僕の中にも何パーセントかはこんな気分があって、スーっと(実際はスーっとではないと思いますが)新記録達成という歴史的出来事にどう対応して良いかわからなかったのではないかなあと思います。

ところで稀勢の里の場合と今回と違うのは、稀勢の里の闘いはその姿を見ていれば僕にも闘いの内容が理解ができますが、将棋は盤面を見ても(見ていませんが)理解ができません。実は過去に何度か将棋の本を買ったり、詰め将棋をしてみたこともありましたが、長続きはしませんでした。昨日もせっかくの新記録達成の日だからということで、将棋アプリをインストールしてみましたが、早くも挫折しそうです(汗)。

気がつけば訳ののないことことウタウダと書いてしまっていますが、今回の藤井聡太四段の快進撃に付随する識者のコメントやら何やらで色々気付かされたことがあります。それは音楽と共通する部分があるということです。そして改めて「天才」とはどんな人なんだということに考えさせられました。将棋界での天才は藤井聡太四段だけではありません。言ってみれば皆さんがほぼ天才なのではないでしょうか。これまでの記録保持者の神谷広志八段は「凡人の記録を天才が抜いた」とおっしゃっていましたが、これまた天才のお言葉と感じました。多分、天才という人は自分が天才であることがわからないんでしょうね。そこにあるのはひょっとすると「ひたすら」という一語なのかもしれません。




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