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2017年6月 5日 (月)

信頼できるか否か

Futatunoj001

2004年に「ふたつのJ」というCDをリリースしました。「ふたつのJ」という言葉は内村鑑三のことばでひとつはJesus(イエスキリスト)のJ、もうひとつはJapanのJです。このころは自分とキリスト教、キリスト教と日本、自分と日本について思いめぐらしていました。そんな中で「ふたつのJ」をタイトルにした曲が生まれ、それを収録したCDを制作しました。

僕の「ふたつのJ」の歌詞には「右でもなく 左でもない 心に道を探してた」という言葉があります。この言葉に現れている自分の心境がキリストを受け入れる鍵になっていたと思います。

僕の中学高校時代は学生運動が盛んで、仙台の一番町でも度々デモを見ました。僕自身高校の「制服自由化運動」に参加し、ある日数十人で私服を着て登校したことがあります。それからしばらくして制服が廃止となり今に至っています。

当時は自然にというか、なりゆきでというか自分は左翼的だと思っていました。しかしそれは権力に疑問を感じればそれに物申す気持ちを持っているということで、共産主義思想を理解していたというわけではありませんし共産主義者ということでもありませんでした。

自分がクリスチャンとして生きようと決めたのは左か右かの思想的なことではなく、心の居場所を探していたことによりますが、クリスチャンとして歩む中で、次第に日本人でありクリスチャンであるということはどういう在り方をしていることなのだろうと考えさせられるようになりました。それが「ふたつのJ」という歌になって現れたのだと思います。

そして今、自分の生き方を客観的に見れば、決して左ではなく、どちらかというと保守なのだと考えるようになりました。ある意味キリスト教に生きようとしたこと自体が保守といえるのかもしれませんが・・・。

ところでここで保守の意味をはっきりとさせなければなりません。僕は保守とは従来の良き伝統を守り育てるということに集約しても良いと思っています。これは決して国粋主義ではなく、排外主義でもなく、ヘイトスピーチなどとは無関係な立場です。また力には力で立ち向かうという外交姿勢とも異なりますし、己の権力や権威を死守するためには何でもするということでもありません。当然国民を一手に掌握することでも自由を制限し奪うことでもありません。国民を見下しポピュリズムを煽って己に不利な真実には子供だましのようにしてでも隠そうとすることでもありません。

どうやら今は左や右という思想の違いで分けるのではなく、信頼できるか否かによって分けなければならなくなっているようです。国民ひとりひとりは決して馬鹿ではありません。暮らしの中の様々なシーンで信頼できるか否かを選別して生きているわけです。ですから左か右かの思想云々なんて語れなくて良いから、信頼できるか否かをじっくり見極める必要があります。国民が今の日本のリーダーたちをじっと見つめているならばその目力を侮ることができなくなるのではないでしょうか。

今日このブログを書き始める時にはこんなことを考えていました。それは政治に関してですが、野党は野党としての力を発揮できないのだから、共産党以外は自民党に入れてもらって党内野党体制を作れば良いのではないか、という冗談のようなことです。ここ数日自民党内から党内野党的な発言が聴こえてくるようになり、まともな政治家がいてくれたことに多少の安堵感を持ちました。そしてそれらは残念ながら野党の発言よりも影響力を持っているように感じられました。

今朝は長々と演説口調になってしまいましたし、意味不明、思考混濁的なところがあるかと思いますが、共謀罪に代表されるよう将来に禍根を残すヤバイ流れはなんとかくい止めなければなりません。もう左も右もなしです。それらの立っているところさえ揺さぶられているのですから、信頼できるか否かを見つめて、判断をしていかなければならないと思っています。



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