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2017年6月 6日 (火)

巨象をなでてみよう

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この方との出会いは2年前の秋のことでした。それは関西で牧師をされている大頭眞一先生という方です。出会ったといってもフェイスブックのメッセージでのことでリアルではありません。

先生は翌年から「舟の右側」という月刊誌に連載を始めました。そのタイトルは「焚き火を囲んで聴く神の物語」という微妙に普通じゃない感じでした。そして中身は微妙レベルではなく、けっこう普通じゃない(〜学書みたいじゃない)内容でした。そして気がつけばその世界に引き込まれている自分がいたのです。

連載の中身をめちゃくちゃ簡単に言えば、聖書に登場してくる人物(例えばイザヤという人など)と著者が焚き火を囲んで語りあい、笑い、時には泣きながらながら神の心を描き出そうとしている、でしょうか。とにかく読み始めた僕の中の琴線がボヨ〜ンと振えたのです。そして昨年リリースしたCD「天にも地にも」に収録した「神の物語」という曲にまで発展していったのです。

大頭先輩(焚き火の周りでは先生と言わずに上下立場職種に関係なく先輩と呼び合う文化が醸成中)との最初の出会いから1年が過ぎた昨年の秋に先輩が、「焚き火を囲んで聴く神の物語」が「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話編」という本になるので、そこに祝辞のような「乾杯の音頭」を書いて欲しいと言ってきました(だんだん物言いが失礼になってきてすみません)。だいたい結婚式の乾杯の音頭も苦手な僕に「書け!とはどういうことだ」と思いながらも、結局書いてしまった自分。この「なんでこうなるの」という「変」をふりかけるのが大頭先輩というお方なのです。

そして先日「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話編」が発売されました。メインの内容は元々の「焚き火を囲んで聴く神の物語」の12のテーマに12人の方々が応答するというものです。12人の方々は焚き火のそばにいる方もいれば、ちょっと遠巻きに眺めている方もいますし、友のようだったり兄のようだったり、妹のようだったりと様々です。本の冒頭の方に僕が書いた「乾杯の音頭」も収録されています。あくまでも焚き火に火をつけたところでの「乾杯!」という程度の内容なのでご心配なく(何がご心配なく、かわかりませんが・・・)。

さて「焚き火を囲んで聴く神の物語」が「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話編」とバージョンアップをして、何らかの帰結を得たのかというとそうではなく、またここから始まる、ということだと思います。本の帯に「神という巨象をなでてみよう。仲間と焚き火を囲みながら」とあります。

巨象で思い出したのは長女の亜希子が1歳くらいだったでしょうか。親の初心者である僕は亜希子を動物園に連れて行きたくてしょうがなくなりました。そして上野動物園の象の檻の前に行き、亜希子を抱っこしながら「ほら、あれがゾウさんだよ、ゾウさん」といくら指差してみても当然亜希子にはゾウさんがゾウさんとして認識できるわけがありません。ただ父親が「ほらゾウさんだよゾウさん」と繰り返す声が響いていただけでしょう。

神という巨象と僕たちはこれに似ているかもしれません。以前は「神がいるなら出してみろ」」というフレーズがありましたが、亜希子とゾウのようにゾウはそこにいて、実は見えてはいるのに認識できないということは充分あり得ると思います。

「焚き火を囲んで聴く神の物語・対話編」は「ねえ、こっちへ来てこの大きなゾウにふれてみないか」と呼びかけているようでもあります。そしてゾウの耳やら鼻やら尻尾やらについて、ゾウに詳しい、ゾウに魅せられた人たちが焚き火を囲んで、「象の鼻はね・・・」、「そこは尻尾でしょう・・・」、などなどと話し込んでいるようです。その誰もに共通しているのは夜明けを待ちわびていることかもしれません。

本を焚き火にくべることはあっても、焚き火が本になることは珍しいことです。興味を持たれた方はぜひ本を開いて小さな焚き火を始めてみてください。そうそう先輩が作詞をし僕が作曲をした「神の物語」と「夜明けの歌」の楽譜も収録されています。どうぞ焚き火のお供になさってください。

ちなみに曲はYoutubeで聴くことができますよ。気に入ったらCDもよろしく(汗)。

「神の物語」 → こちら

「夜明けの歌」 → こちら

「神の物語」英語バージョン → こちら




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<天にも地にも>発売中


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20160823
 
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コメント

神様の巨象に制限をかけているもの。実は、「聖書信仰」の旗をはためかせながら教会の中に根付かせてしまってはいないだろうか?と、自責の念をこめて危機感迫る思いのこの頃です。先の、「党内野党制度」も、実は教会の中にこそ、そのバランスバロメーターとして必要なのに欠如している、と。というわけで、この本、とても心惹かれるので読みます。

投稿: まつかよ | 2017年6月 7日 (水) 13時43分

教会の党内野党制度かあ、確かにあまり喜ばれないかなあ。
聖書信仰といえば藤本満牧師の書かれたものは読んだ?
https://www.amazon.co.jp/聖書信仰-その歴史と可能性-藤本-満/dp/4264034507

投稿: ぶち | 2017年6月 7日 (水) 14時43分

制度というと語弊がありますね。良い意味での自己批判、自己吟味ができればと思うのですが、それが意外ととても難しいと知るこの頃です。藤本満師、読んでみます。ありがとうございます。

投稿: まつかよ | 2017年6月 8日 (木) 08時55分

自己批判も自己吟味も無限鏡みたいに終わりがないですよねえ。
僕は自分に何度も挫折しているから、自己批判も自己吟味も「じこひはん」、「じこぎんみ」って感じになってます(汗)。

投稿: ぶち | 2017年6月 8日 (木) 10時00分

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