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2018年4月 6日 (金)

アーメン

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大相撲春巡業の「女性の方は土俵から下りてください」問題が報道されてから、いろいろと思い巡らしていました。大相撲のしきたりから見れば女性が土俵に上がってはいけないのですから、このようなアナウンスがされたわけですが、私の頭にはある人物の物語が浮かんできました。

これは私がクリスチャンであるからこそですが、思い浮かんだ人物はイエスキリストです。人物というと「え?」と思われる方がいらっしゃると思いますが、イエスキリストは神でありながら、人になられた方です。

旧約聖書には神が人間に守るようにとの律法が記されています。残念ながらその律法を人々は守り通すことはできませんでした。イエスキリストが登場する頃には、律法を忠実に行おうというグループがありましたが、彼らはもともとの律法にさらに自分たちで付け足しをしていたようです。そしてそれを守っているという優越感から周囲を見下げるような面もあったようです。

例えば神が天地万物を造られて休まれた7日目、神はその日を休み(安息日)に定めました。それは金曜の夕方から土曜の夕方までのことですが、律法を守って暮らしている人たちは仕事を一切せずにこの時を過ごしていました。

ところがイエスキリストの弟子たちがその休みに麦の穂を拾って食べていました。律法を守っている人たちはそれを見つけると弟子たちを非難しましたが、キリストは「安息日に良いことをすることは、正しいのです」と答えました。

ではキリストは律法に基づくこれまでの慣習を壊そうとしていたのかというと、そうではなかったのです。聖書のマタイによる福音書にはこうあります。「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」。

キリストは律法を守っていると言いながら、どこかで自分達流なやり方も加えながら、元々の神が与えた律法の核心から離れてしまっていた人間たちが、本来の律法に生きるようになるために来られたという事です。

長くなりましたが、私は大相撲の「女性は土俵から下りてください」問題がキリストの弟子たちの安息日の行動と似ているなと感じたのです。

相撲は神事ですから女性が土俵に上がれない。それは女人禁制ということです。実は最初の律法が記されている旧約聖書にも女人禁制に当たるようなことがあります。しかしそれらを含めて律法はイエスキリストによって本来の律法に回復されました。

相撲も神事であり神への奉納ですから、そもそも勝ち負けをつけるためのものではなかったはずです。しかし今の相撲は勝ち負けを重要視するスポーツに近づいています。それ以外にもこれまでの慣習にはなかったことが加えれたり変えられたりしているようです。

私は時々相撲を観ていますが、相撲ファンの中に、もしもですよ、もしも女人禁制という概念を持ちながら男尊女卑的な理解で楽しんでいる人がいるとしたら嫌だなあと思います。こんなことをこれまで考えたことがありませんでしたが、ふと今回のことから思い浮かんでしまいました。

相撲を奉納している神は倒れた人にさらに鞭打つような神であり、掟を破るものには容赦しない神なのでしょうか。もしそうであればとっくに人の心はその神から離れてしまっているのではないでしょうか。

日本は世界的に見れば男尊女卑度の高い国だそうです。期せずして今回の問題により改めて世界にそのことを発信してしまいました。現政権からはチラチラと愛国思想が見え隠れしますが、その愛国の大元は相撲と同じ神様です。相撲も愛国も、それらが本来持っている意味に立ち返っているならば悪いことではありませんが、私にはそうは思えません。

イエスキリストは一見律法を破ったようでも、それは元来の律法が成就するためでした。ですからキリストは決して革命家というわけではありません。ことばが違うかも知りませんが、リセット家、リニューアル家、と言うような感じでしょうか。

私は今の日本には本来のものを回復させるリニューアル家が必要だと思います。当たり前のことが当たり前に行われるような国になってほしいと思います。キリスト教では「そうですその通りです」ということを「アーメン」と言います。政府や、官僚に「アーメン」と言えたらどんなにか良いことでしょう。

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