カップを一旦テーブルに置いて
ある時テレビを観ていて興味深いことを知りました。それはコーヒーを手に持って運ぶ時には、こぼさないように注意して歩く時より自然に歩いた方がこぼさないということでした。
私の仕事部屋は二階なので、一階でコーヒーをカップに淹れて運んで、途中でこぼしてしまうことは何度もありましたし、一度はスリッパを階段に引っ掛けてしまい、全部こぼしてしまったこともありました。
コーヒーを持っていることを意識しないで自然に歩けばこぼさないというのは半信半疑でしたが、実際にやってみると実にその通りでした。このことから何かに集中することは良いことでも、時に力んでしまい、心のカップから大切なものをこぼしながら歩いているのかもしれないなと思いました。
さて先月末に私が外出から戻ると妻がちょっと慌てながら、「アントニオ古賀さんから電話が入った」というのです。思わず私は「ハア?アントニオ古賀さん?なんで?」と返事をしていました。
どこかでアントニオ古賀さんが教会のクリスマスに出られて感動された、ということを聞いてはいましたが、そのアントニオ古賀さんがんぜ我が家に電話をされてきたのか検討がつきませんでした。
その後電話でお話をさせていただきその理由がわかりました。それはアントニオ古賀さんが滋賀の教会で演奏をされた時に、私のギターを抱えたCDジャケットをご覧になって興味を持たれたとのことでした。そしてそのCDを聴かれて連絡をしようと思われたとのことでした。
どこかで会いましょうということになり17日の歌声ペトラのことをお伝えしたのです。そうしたら「その日は空いているのでギターを持って行きますよ」とおっしゃってくださり、先日の歌声ペトラ初のスペシャルゲスト登場と相成ったわけです。
歌声ペトラの動画はこちらでご覧いただけます。
アントニオ古賀さんは年齢が私よりちょうど一回り上なのですが、その情熱的な演奏や探究心にとても良い刺激をいただきました。
ところですでに歌声ペトラのサイトやフェイスブックなどでご存知の方がいらっしゃると思いますが、今年の7月でこれまで開催してきた形での歌声ペトラは休止することになりました。しばらく前に今後の作品作りのことなどを作詞者の関根先生と話している中で「20年も続けてこられたことに感謝しつつ、一旦現在の形をお休みしてみるのも必要なのではないか」と考え始めたことがきっかけでした。
その後何度かやりとりをしている中で、250曲を目処にお休みさせていただこうかということになってきたのですが、これまで毎月会場に足を運んでくださった方々、ネットで参加してくださっている方々、そしてボランティアで毎月の歌声ペトラを支えてきてくれた、仲間のことを考えると、とても心苦しいものがありました。
そんな中、先月の歌声ペトラの時にいつも会場をお借りしている、御茶ノ水クリスチャンセンターの方から7月以降に会場が使えなくなる旨を伝えられたのです。7月はちょうど250曲目なのです。私と関根先生は自分たちの中で決断しつつあることと、周囲の状況が一致してきて、やはりここが節目かという思いに至りました。
歌声ペトラのサイトに掲載されている関根先生からのことばです。
ここで最初のコーヒーカップの話に戻りますが、いつからか私は毎月歌声ペトラができることを当たり前だと思ようになっていました。歌声ペトラもある意味大きくなり、最初のちっぽけだった歌声ペトラ時代のことを忘れるようになりました。慣れというのは怖いものだと思います。作曲をしている当の自分が、歌声ペトラのことを知っているようで知らないという状態に陥っていたのかもしれません。
そこで歌声ペトラというコーヒーカップを一旦テーブルに置いて、自然体で持ち運べるようになるまで休ませてもらおうという結論に至ったのです。コーヒーをこぼさずに運べるようになったら、そしてコーヒー本来の味を味わえるようになったら、一緒に味わっていただける日が訪れるかもしれません。
ここまで歌声ペトラを支え盛り上げてきてくださった皆様に心から感謝します。とは言っても歌声ペトラのサイトはしばらく継続していただきますし、そのうちにサイトから新曲ご披露なんていうこともあるかもしれません。そういう意味では1000曲を目指す旅が終わったわけではないのです。
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